ここ最近、朝起きて真っ先に考える事は“仕事に行きたくない”だ。
こう言うと“大人になれよ”と諭されるような気もするが
それで納得するのも癪なのでもう少しちゃんと考えてみたい。
なぜ“仕事に行きたくない”のか
まず考えるべきは“なぜ仕事に行きたくないと思うのだろうか”ということだろう。
端的に言うのであれば“面倒くさいから”につきる。
なんとも身も蓋もない話だ。
ここで終わりにしたところで何も産まれないので、さらに“何が面倒くさいのか”を考えていく。
一般的に考えられるのは以下の通りではないだろうか。
・仕事が難しい
・やらなければいけないことが多い
・職場の雰囲気が悪い
・嫌いな人と関わることがある
・職場が遠い
・自分の要望が通らない
・朝が早くて眠い
ざっと考えてみてもこれくらいはあるし、細かく考えればもっとあるのだろう。
また、病欠に関しては“行きたくない”というよりは“行けない”という側面が強いため除外した。
こうやって見ると色々とあるように見えるが、実のところ根底にあるものは同じものなのではないかと思う。
それは
「誰かの利益のために動かされている」
という事だ。
“損”と“得”の社会
当たり前といえば当たり前ではある。
労働とはそもそも、労働者が時間や体力を消費し“損”をすることによって、企業に“得”をさせることだからだ。
現代社会では金銭という制度を使い、各々の“損”と“得”の帳尻を合わせているが、本質的には搾取の関係なのだと思う。
ただ、このシステムが正常に働いている間は健全だ。
問題は、人間は収支をプラスにしたい生物であるということだろう。
この性質が「誰かの利益のために動かされている」感を助長する。
つまり、相手よりも自分が“得”をするように立ち回るのである。
これは、金銭が発生しない人間関係においても同じだろう。
誰もが一度は「誰か代わりにやってくれないかなぁ」と思ったことがあるだろう。
その感覚が“得”をしたいという感覚だ。
この“得をしたい欲求”が自分に向けられたとき、人間はほんの少しの“面倒くささ”を感じるのではないかと思う。
それが顕著に出るのが、労働、ひいては“ビジネス”という舞台なのだろう。
何せ他人の“やりたくない”を肩代わりすることで成り立っている世界だからだ。
そして、他人から押し付けられた“得をしたい欲求〟が積み重なった結果“仕事に行きたくない”に繋がるのではないだろうか。
ちなみに、多くの金銭をもらえれば解決するわけでもない。
金品に対する価値観は人それぞれだからだ。
ここを間違えると谷底まで一直線であるため気をつけていただきたい。
ここまでの結論
以上が、私の考えた結論である。
これを見て少しでも納得できた人がいるようであれば、“損”を回避し、願わくば“損”を押し付けずに生きていただけたらと思うばかりだ。
では、今回はこのあたりで本文を締めさせていただく。
───仕事とかせずに楽しく生きていきたいんだよなぁ。
ー了ー